2009年12月の山行記です
5時半に起床。おかーさんはもう起きて支度をしていました。でもヨーゼフとクーはまだ起きてきません。その後ヨーゼフはすぐに起きてきたものの、クーのほうはしばらく布団の中でぬくぬくしていた。寒くなってきたので寝起きが悪くなっている。 6時半過ぎに家を出発。 途中コンビニに寄って8時20分ごろお馴染の「都民の森」駐車場に到着。日曜日なのでちらほら車が停まっている。でもここへ来るといつも駐車する場所が空いていたので「オッ、空いてる空いてる」と言いながら車をそこへ収めた。 小型のバスも停まっているので三頭山には大分人が入っているのかな~。と心配をしつつも支度をする。 天気は上々、青空が広がっている。ヨーゼフとクーも早く行こうよとリードをつけて待機している。
靴ひもをきちんと締めていよいよ出発。でもこのときはその後に起こることに気づく筈もなかった。 都民の森の大きな看板を左に見ていつものように舗装路(アンツーカー?)を「森林館」方面に向かって緩やかに登って行く。急斜面ではないけど、朝一にはこの道が結構きついのだ。 森林館には途中から左へ木製の階段を登って行く。 いつもはこの先、森林館下のトンネルを潜って鞘口峠へ向かい、そこから尾根を登って行く。 でも今日は三頭大滝から沢筋を登ることにした。沢筋を登るのは一度あるけど、記録を調べてみると一昨年のヨーゼフの誕生日(1/8)に登っていた。その時は雪道だったけど1時間半で登っている。でも最近山から離れてるし、脚もめっきり弱くなったので、今日は2時間ぐらいみてのんびり登るつもりだった。
結構長い階段を登りきると左へ三頭大滝への遊歩道が続いている。三頭大滝まで20分と日本語だけでなく、英語、ハングル文字で記した小さな案内板があった。遊歩道にはチップが敷いてあり歩き易い道になっている。でも今は落ち葉が多くてチップの上を覆っていた。 7、8分先に東南方面が開けたビューポイントがある。ここからは笹尾根が、その先には生藤山を望める。眼下には奥多摩周遊道路が山間にくねくねと白く垣間見える。 いつもは帰りなので山が霞んでいることが多かったけど、今日は午前中なのもあり比較的はっきりしていた。写真を撮って大滝へ向かった。 こで遊歩道は大きく右に曲がる。曲がった先で左前方木の間に大滝の頭がチラリと見えた。 左に東屋を過ぎるともう三頭大滝はすぐそこだ。滝方面から10人以上のグループがやってきた。どうやら小型バスに乗ってきた人たちらしい。
三頭大滝で写真を撮りここは休まず先へ進む。 今度の山歩きでは紅葉も見られるかもとちょっと期待したところもあったけど、生憎木々の葉は大部分が落ちていた。 三頭大滝の落ち口の脇を通り橋を渡る。左に石山の路を分けて沢沿いに進む。 この石山の路は深山の路を経て三頭山~笹尾根~浅間峠の縦走路に出ることができる。さらにその先には和田峠~陣馬山へと繋がっている。 私たちは2回、三頭山から石山の路を下山したことがある。 沢沿いの登山道は石の階段状の道になっている。 沢を右岸から左岸へ渡り再び右岸に渡り返して5分ぐらいすると、行く手の左岸にテラスが見えてくる。テラスのところで沢を渡る。鞘口峠からの尾根道にある野鳥観察小屋を通り見晴し小屋に通じるコマドリの路が右へ分かれる。
Tシャツ一枚で身体が軽くなったところで出発。 5分ぐらいでまた沢を渡る。沢は平べったい大きな石が置いてあり安全に渡れる。クーでもほとんど自分で渡れた。 2、3分先に案内板があって、三頭沢について「三頭沢ぞいに山道をたどるとこの付近で突然水がなくなってしまいます。これは、沢ぞいに厚く積もった湲流推積物の下を水が伏流水となって流れるためです。地表にわき出す地点は、雨量や日照りなどによってもちがいます。」と記してあった。「湲流」とは?もしかして「渓流」?泥流?「推積」は「堆積」の間違い?でも何となく意味は分かった。それで水は見えないけど沢音が聞こえるのか。
その後再び左岸に出るとやや沢から離れ山腹を登って行く。ここから今までより登山道は急になる。 その時おか~さんが言った。「おと~さん、その靴もう駄目だよ。踵が壊れてるよ」。言われて登山靴の踵を見ると、外側が裂けていた。これで分かった!どうも歩いていると踵が低くて歩きにくいと。すり減っていたのかと思っていたけどつぶれていたのだった。今日は踵がなくならないように大事に歩くしかない。原因は経年劣化と、いつも歩いていて踵が僅かでも前にずれるのが嫌いなため、時々立って靴のかかとを石にコンコンとぶつけることも寿命を縮めたかも知れない。足入れがいいハン・ワグ(HAN WAG)もついにダウンしてしまった。今までご苦労様。ソウルを張り替えても1万ぐらい掛かるし、それにアッパーも疲れてきてたからもう買い替えだな~。 結局8回沢を渡り、最後に完全な涸れ沢を横切り斜めに登り、右に大きく曲がるとムシカリ峠がすぐそこに見えた。
私がクーのリードを放して写真を撮ってあとから行くと、クーは最初おか~さんに付いて行こうとしたものの、私のことも気になってか、間を行ったり来たりしていた。落ち着かないなぁ~。 ムシカリ峠で尾根に出ると、三頭山へは右(北)へ行くのだが、今日は逆の左へ避難小屋へ向かった。 以前、三頭山からの下山で深山の路から石山の路を通った時、避難小屋からの富士山展望が三頭山に負けず劣らず良かったのを思い出したからだ。今日は日曜日なので山頂は混んでいるかもしれないと思いここで富士山を撮ることにした。 避難小屋に着くと期待通り、正面に富士山が私たちを待っていた。私たちだけの貸し切りだ。「素晴らし~い!」のひとことです。 小屋の富士山側はベンチになっているので、ザックを降ろしてじっくり写真を撮った。
それに小屋にはトイレも付随している。いつもは駐車場に戻るまでトイレはなしだけど、折角だからトイレを使わせてもらった。ついでに小屋の内部を見学。なかなかきれいだ。管理が良いのと、冬以外は小屋内に入ったり、まぁ、大岳山~御前山~三頭山~笹尾根を縦走する人以外は使用する人はいないのだろう。 ひとしきり富士山を眺めたり写真を撮って満足したところで、 一旦ムシカリ峠へ戻り、ここから丸太の階段状になった尾根道を登り始める。 10分ほどで登山道は平坦になる。その先で右に東峰への巻き道がある。 ここからほんのひと登りで山頂に着いた。 山頂は思ったほどの登山者はいなくて、3、4組ほどのグループが休んでいた。柴犬を連れてる人もいた。
富士山も見事に見えるし、逆側の雲取山、石尾根も今日はきれいに見える。良い日に来たな~と感激もひとしお。 昨日までの雨でか(まだ霜は降りてなさそう)足元がややぬかるんでる所がある。 真正面に富士山が見える1等席のベンチが空いたのでそこに陣取った。ヨーゼフとクーは地面いるとグチャグチャに汚れるのでベンチにビニールシートを敷いてその上に居させた。 久し振りにカップめんを食べ、コーヒーを飲んで景色を眺めた。 コーヒーを飲み終わる頃には登山者がどんどん登ってきた。そのうち男性のリーダーに引率された20名以上の中高年女性グループが上がってきて、富士山を見るや大歓声。その後もわぁわぁ話声が賑やかで大分居心地も悪くなった。そりゃぁ楽しい気も分かるけど、もう少し静かにできないもんかな~。
十分景色も堪能したし、十分休んだので団体さんが来たのを潮に下山することにした。 下山はいつもは登り道に使う鞘口峠経由。 先ずは東峰との鞍部に下る。ここは十字路で、三頭山の巻道、東峰への道、東峰の巻道が交差している。 東峰山頂は周りが樹木に、傍に展望台があるけど見晴しが良いわけでもない。今日は下山道だしここは巻道を行く。 3分ほど巻道を行き東峰からの道を合わせる。 尾根道を下ったり、山腹を行ったりして下って行く。 東峰から30分弱で見晴し小屋に着いた。 ここから東が開けていて大岳山が見えるので写真を撮りに寄った。 テラスに行くと大岳山から御岳山に続く稜線が見える。御岳山で稜線は落ちて行く。
大岳山の写真を撮ったところで下山再開。 どこか樹木が切れたところで御前山が木の邪魔なしで見られるだろうと登山道を下る。以前、雪の中この尾根を下ったことを思い出す。雪は良いのだけど凍ったところがとても辛かった。 結局御前山は樹間からしか見ることはできなかった。 見晴し小屋から20分ぐらいで我が家で第一ベンチと呼んでいる所に着いた。ここから急な尾根を下りはじめると下に鞘口峠のテラスが見えた。 凍った道では多分できない速さで鞘口峠に下り立った。 ここでテラスに上がり一休み。 休んでいると「月夜見山」方面から単独行の登山者が峠に下りてきた。
奥多摩湖側にある「山のふるさと村」方面から来たのだが通行止めで直接「鞘口峠」に出られず風張峠回りで遠回りさせられたそうだ。三頭山に登る予定だったけど中止して都民の森駐車場へ下って行った。 私たちもすぐその登山者のあとを下山した。 森林館まで下るとあとは舗装路になる。 駐車場に戻ると広い駐車場がほぼ一杯になっていた。 ヨーゼフとクーは、特にクーはお腹まで汚れていた。お腹と足を洗ってから二人ともクレートに収まった。 我が家には渋滞もなく3時ごろ着いた。 途中良く買い物する「好日山荘」の前を通ったのだけど、今日は買うだけの持ち合わせもなく、カードも持ってきてなかったので(大体山歩きにお金は不要)私の登山靴は時を改めてとなった。
今日は久し振りの山歩きでしたが、あまり疲労感もなく無事に三頭山を登ってきました。おか~さんは相変わらず疲れを知らない人でした。でも歩く速度は私と同じでゆっくりです。 今日の疲労感の少なさは、素晴らしい景色を見られた満足感もあったからだと思います。 充実した山歩きでした。 きっとヨーゼフとクーも楽しんでくれたでしょう。 でも帰宅後に当然、嫌いなシャワーが待っていました。 |