【6日目】 |
2004年7月22日 |
[天気 : 晴れ] |
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宿泊:チューリッヒ ホテル・ワルハラ |
今日はツェルマットとお別れ。氷河特急に乗り、途中みんなと別れて「ハイジの里」に寄ってからチューリッヒに向かう。
先ずはツェルマットから氷河特急に乗ってクールに行き、ここでみんなチューリッヒー向かうが、私たちと平安夫妻はマイエンフェルトに行き、
ハイジの里を訪れた後、チューリッヒに行きみんなと合流する予定だ。
カミさんが今回のスイス旅行に誰よりも早く手を挙げたのはハイジの里に行きたかったからだ。 |
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《本日の行程》
ホテル ツェルマット駅 〔8:50〕 〔14:32〕 クール 〔14:52〕 〔15:05〕 マイエンフェルト
〔18:05〕 〔18:08〕 バートラガーツ 〔18:33〕 〔19:48〕 チューリッヒ ホテル・ワルハラ
[写真にカーソルを置くとキャプションが出ます]
朝起きると今日も天気は良かった。いよいよスイスアルプスとも今日でお別れだ。
今日は世界一遅い(?)特急「氷河特急」に乗ってクールまで行く。
ホテルを出て、今日は町中を流れる川の左岸を歩いてみた。教会までは民家が並んでいる。
吉田さんと3人で歩いていると、花がきれいに咲いている家があった。つられて小路を入っていくとおばあさんが出てきた。カミさんと吉田さんが英語で「綺麗にしていますね」などと話し掛けたが、どうやら英語は通ぜず、ドイツ語でなんか言っている。それでも気持ちは通じたらしく嬉しそうにしていた。写真を一緒に撮ろうと言うと、恥ずかしがってダメだった。
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ガイドの松本さんと(マウスで車内の写真へ) |
途中でまたまたスポーツ用品屋さんに寄って、まだ準備中だというのにシャツを買ったりしてやっとこ駅に到着した。
駅でスーツケースを受け取り、憧れの氷河特急に乗車した。
私たちの乗った車両には他のお客さんは居なかったので貸しきり状態でツェルマットを出発した。
これでアルプスともお別れかと思うと何となく寂しくなった。楽しかったアルプスの5日間があっという間に過ぎ去ってしまった。マッターホルンをはじめとした山々、牧草地帯にくつろぐ牛や羊たち、響き渡るカウベルの音色。またいつか訪れることを夢
見て、車窓からツェルマットの町に、4,000mの峰々に別れを告げた。
列車はマッター谷を進んでいく。右にテッシュの大駐車場を、やがて昔大崩落があった地点を左に、右にサースフェー見ながらブリークに向かう。
氷河特急の名前の由来となったフルカ峠は、現在トンネルを通過する為氷河は見られない。かろうじてオーバーヴァルト辺りで左手の奥のほうに氷河の先端が見えるだけだ。
アンデルマットを過ぎると列車はオーバーアルプ峠に差し掛かる。ここでは列車の向きが右左に変わるため麓の町がころころ見える方向が変わる。
峠を越えると再び列車はライン川沿いに進んで行く。途中食堂車に乗り換え昼食をとる。メニューはまたまた(3度目)ヒーフストロガノフ。ニンジンもたっぷり付いていました。
クールには2時32分に到着。ここで私たちと平安夫妻はみんなと別れてマイエンフェルトに向かう。ちょっと不安なところもあったが、ハイジの里に行かなければカミさんに一生言われかねない。
みんなはこのあと小1時間の待ち合わせでチューリッヒに向かう。私たちは2時52分発の普通列車でマイエンフェルトに向かった。田原さんと吉田さんがホームで見送ってくれた。
マイエンフェルトには3時5分に着いた。
下車したのは私たち4人だけ。駅前はひっそりしていて、学生らしき若者が2、3人いるだけ。とりあえずスーツケースを駅横にある待合室のローカーに入れた。
荷物は置いたし、さあ後はバスに乗ってハイジの里までゆっくりだ。と思っていたのだが、そのハイジバスがなかなか来ない。
あんまり来ないのでキオスクのおばちゃんに聞くと「バスはない」とのこと。「エーッそりゃないよ」歩くと40分ぐらい掛かるはずだ。
仕方ないので駅前の広い道を4人で歩き始めた。天気はドピーカン!この上ない快晴。
ちょっと歩いているうちに汗びっしょりになってくる。クラインマッターホルンの涼しさ(?)が懐かしい。
町は人が住んでいるのかと思うぐらい誰もいない。時々車が通るだけだ。
大通りからやや狭い道に入ると広場に出た。教会と小さなお店が並んでいる。ハイジのお土産やさんもあるが帰りによることにしてここは通過。
道は段々上り坂になる。赤い矢印に従って進んでいくと、「ハイジホフ」と「ハイジの泉」の分岐に着いた。
ここで相談して、折角だからハイジの泉に寄って行くことにした。分岐点を左に道をとり、進んでいくとブドウ畑にでた。右のほうには山の中腹(と言っても下のほうだが)ハイジの里らしき様子が見える。もう少し上には小さな小屋があり、あれがアルムおじいさんの山小屋かなどと話しながら進んだ。もっと上のほうはハイジのイメージと違い岩山だ。
ブドウ畑を過ぎると森の道になった。突然、平安さんが「ハイジ博物館は5時で終わりじゃない?」と気がついた。
ハイジの泉とハイジ博物館への分岐点でまたまた相談。バスがなかったので歩いた分時間が経っていたので、往復1キロはある泉は諦めた。
ここから道を右にとり、ハイジの里を目指す。相変わらず暑いが、森の中に入るとちょっとはしのげる。どんどん歩いていくと森を抜けたところで草原にでた。右に道をとり、歩いていくとやっと前方にハイジホフの建物が見えてきた。
やがて十字路に出た。左に行くとハイジホフ、右に行くとマイエンフェルトの町だ。前方にはハイジの家が見える。
直進してハイジの家に向かうと見学を終えた人々がこっちに向かってくる。多分ハイジホフに泊まるかバスで来た人たちだろう。時間があればハイジホフに泊まってゆっくりしたいところだ。
ハイジの家に着いたのは4時15分だった。チケット(5フラン)を買って家に入った。階段を上って中に行くと、昔の農具や、小さなベッド、食卓にハイジとペーターの人形などがあり、当時の生活をしのばせるようになっていた。
2階にはノートが置いてあって、カミさんと真理さんはノートに名前とコメントを書いて足跡を残していた。
一通り家の中をくまなく見てから外に出ると、今度は隣のお土産やさんに入り、記念になるものを買った。カミさんは欲しかったここだけしか売っていない腕時計を買ってニコニコしていた。
あの時のニコニコ顔を見て、無理してでも来て良かったなと思った。
やっと落ち着いたところで、そばのベンチで一休みした。隣の牧場では太ったおじさんが羊の世話をしていた。のんびりしたひと時だった。
帰りは駅までのんびり歩いて帰った。行きに見ていた広場のお店はもう閉まっていた。相変わらず町には人気がない。
最初予定していた列車にはもちろん間に合わず、2本後の列車に乗り(一応遅れたときの為に調べておいてよかった)、バートラガーツで特急に乗るため下車。
バートラガーツから6時33分(最初の予定ではこのころチューリッヒに着く予定)の列車でチューリッヒに向かった。2階席に陣取りのんびり景色を見ながら約1時間の旅を楽しんだ。
チューリッヒに着くと、松本さんが迎えに来てくれた。ホテルは駅のすぐ近く、チューリッヒ湖から流れ出るリマト川の支流?ジール川を渡ったところにあった。
ホテルの横を通るとそこはレストランになっていて外から我が東雲ハイキングクラブのメンバーが食事しているのが窓越しに見え、窓を叩いて無事に着いたよとご挨拶。
チェックインを済ませシャワーも浴びずに急いでレストランへ。みんなと乾杯してイタメシの遅い夕食をとった。
食事のあとは有志で近所のオープンカフェで打ち上げをして忙しかった一日を終えた。
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