クーと16年間の思い出を
2019/02/06(水)
天気:雨のち晴れ

クーちゃんへお別れの言葉として、16年間の思い出を綴ります。

クーちゃんが天国へ旅立って、もう15日も経ってしまいましたが、我が家からクーちゃんがいないことは事実としてなかなか信じられません。まだ温風機の前でいつもように眠っているのではないかと思えます。

我が家に来て、ここはどこ? 2002/12/29

クーちゃんが我が家に来た日は20021229日。生まれてまだひと月半になったばかりのとても小さな仔でした。娘が東京都練馬区の知り合いから仔犬を貰い、家に来ました。おとーさんとおかーさんも昔、結婚した頃は練馬駅の側に住んでいたことがあったんだよ。何か縁を感じるね。
来た時はお兄ちゃんになるシーズー犬のヨーゼフがいました。

クーちゃんの毛並みはとても艶やかで、撫でるととても滑らかで手触りがとても良かった。これはヨーゼフを上回っていたね。

クーちゃん、最初の名前をおぼえているかな?覚えていないだろうけど、最初の名前はおとーさんが付けた「ファルコン」だったんだよ。ファルコンはネバ―エンディングスーリーに登場する胴が長くて耳もたれていて顔もクーに似ていたんだ。でもファルコンは、ホントは犬ではなくて龍だったんだ。おとーさんも知らなかったんだ。おかーさんから聞いて驚いたんだ。クーちゃんもびっくりしただろう?
でも年が変わるとすぐに「クー」と名前を変えたんだ。それはクーちゃんが小さいくせに、ご飯を良く食べたからだよ。
それともう一つの理由は、おとーさんが読んだ小説の主人公の名前を頂いたんだよ。その小説は景山民夫が描いた「遠い海から来たクー」です。フランスだったかな、原爆実験の影響で深い海の中から首長竜(ステノサウルス)のおかーさんが死の直前に生んた赤ちゃんの名前です。

ヨーゼフはおとなしい優しい子でした。そのヨーゼフに教えられて、いろいろ覚えたことでしょう。

クーちゃんはちょっとヤンチャだけど、心は優しい子だったね。クーちゃんは決してヨーゼフに反抗しなかったことはおとーさんたちはとても分かっていたし、とても偉かったと思うよ。
そうは言っても、イタズラは結構やっていたね。特に靴下は絶好のターゲットだった。

クーが我が家に来た日  2002/12/29

クーちゃんもヨーゼフと同じで我が家に来てすぐ、おかーさんと寝るようになったよね。それはね、最初の夜にケージに入れたんだけど、ワンワン泣くのでおとーさんが負けちゃって、おかーさんが寝床に連れて行ったんだよ。ヨーゼフは最初からおかーさんと寝ていたけどね。

争いごとはなかった二人だったけど、たまにヨーゼフが遊んでる縫いぐるみなんかを横取りして「ヤーイ」なんてふざけっこしていたね。ヨーゼフに耳を軽く噛まれて、そんな時はいつも耳が濡れていたね。そういう時はクーちゃんもヨーゼフの足を軽く噛んでいたっけ。本当の兄弟でも喧嘩することがあるのに、クーとヨーゼフはそういうことがなかったね。おとーさんとおかーさんはそれがとても嬉しかったよ。

それとクーちゃんはお風呂が好きだったね。クーちゃん用のたらい、小さい小判型のたらいにお湯を入れて洗ってあげると、気持ちよくてとろ~んとした顔をしていたよ。忘れられない。
それもあってか、クーちゃんは水を怖がらなかったね。海でも、川でもどんどん水に入って行っちゃうのでリードを外せなかったよ。

クーちゃんは、男なのに女の子みたいに座っておしっこをしてたね。それと、外ではほぼおしっこをしなかったね。遠出したりしなければ家のシートにしてたね。でもなぜか、ウンチは外でしたよ。不思議だったったなぁ。

クーちゃんは、ヨーゼフとは違う面を見せてくれたね。
毎朝晩の雨戸の開け閉めではどこにいても飛んで来て「わんわん」言ってたね。
そして、開け閉めが終わると同時に何もなかったように元居たところへさっさと戻っていたっけ。
頭を振るのが苦手だったのか、最初右左に2回ぐらいゆっくり回し、その後ぶるぶると普通のわんこのように回していた。
クーと違ってヨーゼフは、鼻を中心に全然ぶれないで回していたからね。

そうそう、クーちゃんはこんな癖も持っていたね。私がお風呂からでて身体を拭いていると、必ずドアの外で待っているので、開けてあげると入ってきて私の脚を必ず舐めていたね。ヨーゼフも時々入って来たそうだったけど、クーちゃんがいるので入ってこなかったよ。「これはボクの仕事だよ」と言うように一心不乱に足を舐め続けてた。舐め終わわり気が済むとさっさと帰っていたっけ。
あと、よくテレビをを見てたね。ヨーゼフもたまにテレビを見てたけど、クーちゃんはホントよく見てたね。それも動物ものは食い入るように見てたのが印象に残っているよ。

クーちゃんとはもう会えなくなってしまったけど、おとーさんとおかーさんは生涯忘れないよ。クーちゃんと山に登ったり、旅行したり、いろんなペンションに泊まったり、一緒に遊んだことずっと忘れないよ。

高尾山を下りてザックの上で  2003/04/26

クーちゃん、来た時はホントに小さかった。クーちゃんもヨーゼフもよく寝てたよね。
2007年7月15日には脚が変だなと思って山内クリニックに連れて行ったら何と脱臼してたのでビックリしました。でも大事に至らず、早く治ってホッとしました。

それにクーちゃんは、よく食べたからこそ身体は丈夫だったし、大きくもなったね。最高は6Kgに届いたよ。
でもクーちゃんは山歩きで鍛えていたから頑丈だったよ。登山にはおとーさん、おかーさん、ヨーゼフとみんなで一緒に良く行ったよね。山に行くと、いつもすれ違う人たちに「かわいいね。頑張って!」と声を掛けられて嬉しかったね。 でも、階段は他のミニチュアダックスより苦手だったね。特に家の階段は途中から転げてから階段を上らなくなってしまったね。残念!

数行った山の中でも、その中で「三頭山に」にはクーちゃんはヨーゼフより1回少ないだけの13回も登ったね。
「大岳山」には9回登っていて、2番目に多かったね。
山では基本的にノーリードにしていました。ヨーゼフは見えなくなる位まで先に行くけど、見えなくなると走って帰ってきた。
クーちゃんは私たちがちょっとでも見えないと止まって待っていたね。
それにしてもヨーゼフが154回、クーちゃんは144回と二人とも随分、山に登ったね。


山では自分より少しぐらい高い岩なんかも短い脚でジャンプして登ってたね。でもほんとに高いと抱っこして貰っていたね。しょうがないよね。
それと、休憩の時はよく岩を舐めてたよね。朝の散歩の時もよくコンビニで休んだ時も舐めてたね。おかーさんに「クーちゃん、お掃除しなくていいよ」とよく言われたっけ。

クーちゃんが初めて登った山は、2003年3月23日、奥多摩の「日の出山」。その前の週の「槇寄山」にも行ったけど、その時は雪も降ったのでおかーさんのスリングに入って行ったから登山回数には入れてないんだ。
山歩きでは1回だけど怖い思いをさせられたよ。それは2007年2月3日、大ダワ(御前山と大岳山の間の峠)から「大岳山」に登った時、割と平坦な登山道を歩いていたら、ヨーゼフがノーリードだったので、クーもリードを外してあげたら、ヨーゼフの後を追いかけて行ったんだ。そうしたら原因は分からないけどクーが突然、登山道から谷側へ5、6mほど転げ落ちて斜面の木の根元に溜まった枯葉で止まっていたんだ。おとーさんが必死で木に摑まりながら助けたんだよ。大事に至らないで本当によかった。それからは登山道を外れることはしなくなったね。

兄弟そろっておっぱいの時間。日付不明

山では二人ともとても嬉しそうで生き生きとしていたよ。
そんな時、おとーさんとおかーさんは二人を見て、山に連れてきてよかったと、とても嬉しかったです。

旅行もいっぱい行ったね。

その頃は、普通の旅館とかホテルにはなかなか泊まれなかったけど、ペンションには犬OKが割とあったので(今は多くなったけど)、東北中心にいっぱい行ったね。最初は赤倉スキー場の近く、妙高高原のペンション「風見鶏」に行ったよね。
スキーが最初の目的だったけど、スキーヤーが滑って通るたび、おとーさんの首から下げているカンガルー袋から(おかーさん手製)顔を出していたクーちゃんが「ワンワン」吠えるのでスキーはやむなく中止しました。
でも、クーちゃんは自転車の前かごに乗ってる時と同じに自分より先に行くのはおかーさんとヨーゼフでも駄目だったんだよね。
その時泊まったのが、ペンション「風見鶏」。初めてのお泊り旅行だったよ。部屋や廊下とかで粗相をしないかとても心配だった。何しろおとーさんとおかーさんも犬連れは初めてだったし。でも二人とも何もしなかったよ。おとーさんとおかーさんはとても嬉しかったです。

次の日から野尻湖周辺の観光になったね。
初めて見た一面の銀世界には不思議そうだったね。誰かが開けたまーるい穴に顔を突っ込んでいたね。この穴は何だろう…

裏磐梯の五色沼を歩いた時も、穴に落ちて首から先だけ出ていて自分じゃ脱出できなかったね。同じ裏磐梯のイエローフォールを観に行った時は寒かったね。でも沼が凍っていてその上を歩いて面白かったね。裏磐梯の「フットルース」には何回か行ったね。磐梯山に登ったり、檜原湖で小屋の中で氷の穴からワカサギを釣ったね。おとーさんは楽しかったけど、クーとヨーゼフは見てても退屈だし、小屋の中は暖かいので昼寝していたっけ。

丹沢大倉尾根で 2003/11/08


磐梯高原では「磐梯山」に登ったし、磐梯吾妻スカイラインでは「吾妻小富士」に登ったね。
原村の「JAY」には桜ちゃんも一緒に泊まったよね。楽しかったね。一緒に「入笠山」にも登ったり。

最後に泊まったのは清里高原の「グレイハウンド」。栄さんとバロンの初めてのお泊り旅行に一緒に行ったね。

結局、2003年の年末からヨーゼフが天国に旅立った前の年、20013年の秋まで合計31箇所のペンションに泊まったね。この中には何回も泊まったところもあるので泊り旅行は何回になるのかなぁ。
この他にも中野さん家の河口湖の別荘にも泊まったね。

みんなその時々の思い出があって楽しかったね。。

日帰りでも四季の「昭和記念公園」には毎年4回ぐらい、良く行ったね。
ポピーや桜、コスモスを観に行ったね。狭山湖にも良く行ったね。

六道公園や八国山にはハイキングコースがあり、ヨーゼフとよく歩いたね。
上り下りが少ないので山登りより楽だったね。

地元の北山公園には毎年菖蒲祭りの時は必ず、それ以外にも写真を撮りに行ったり、「八国山」へ行く前に遊びに行ったね。
そういえば、クーちゃんと二人きりで長瀞にも行ったよね。覚えているかい。
狭山公園にもさくらを観に行ったり富士山の写真を撮りに行ったよね。

初めての泊り旅行。妙高高原で  
2003/12/30~1/2

奥多摩の山にはいっぱい行ったね。奥多摩三山はすべて登ったし、三頭山にはヨーゼフの100回記念にも登ったし、ヨーゼフは15回、クーだって14回も登っているんだよ。

クーちゃんの初登山は奥多摩の「日ノ出山」だよ。覚えているかい?
その前に「槇寄山」に行ったけど、この時は雪が降ってたし、おかーさんのスリングに入っていたから登山回数には入れてないんだ。

クーちゃんの得意技、覚えてるかなぁ。おとーさんが指でピストルの真似して「パーン」と言うと、すぐパタンと倒れるのではなく、2,3回ってから倒れていたよね。
まだ小さいころは自分の尻尾を捕まえようとよくグルグル回っていたよね。

そう言えば、こんな事もあったね。2012年10月29日、那須へ行った帰り、塩原の「ハンターマウンテン」スキー場でハイキングをした後、ロープウエイを降りておとーさんはヨーゼフと歩いたけど、おかーさんはメイを連れてクーちゃんを抱いてスキー場の階段を下りていて、中ごろから前に転んで階段の踊り場まで落ちて頸骨を折る大怪我をした時のことを覚えているかい。その時、おとーさんはおかーさんについていたけど、クーちゃんがいないことに気づいたんだ。そしたら親切な人がいて、クーちゃんを確保していてくれていたんだ。おかーさんは救急車で運ばれ、即入院。帰りはおとーさんとヨーゼフ、クーとメイで帰ったことがあったね。12月22日に退院するまでまでおかーさんは病院にいた。その時はおかーさんに会いにはいったけど、家にいないので、帰ってくるまで寂しかったね。

クーちゃん、この一年間は歩けなくて見ていて、とても心が痛かったよ。
最初のうちはい自分でいざって水を飲みに行けたよね。
でもそれも行けなくなって昨年末ごろは寝たままになってしまったね。ここ2年ぐらいはおむつが外せなくなり、おかーさん頑張ってくれたよ。


今思うと、見ていて何となく生きる気力が段々なくなりつつあったクーの最後の日、病院から帰ってきても元気がなかったクー。夕方シリングで水をあげた時は飲んでくれたけど、8時ごろにはもう飲めなかったね。その時おとーさんは、クーがこう伝えたかったんじゃないかと思いました。「おとーさん、おかーさん、永い間一緒にいてくれてありがとう、ボクみんなと一緒で楽しかっよ。嬉しかったよ。でももういいんだ。おとーさんとおかーさんが悲しむの嫌だから、ボク頑張ったもん。でも、もういいよね。ボク、ヨゼ兄ちゃんの所に行くよ。またヨゼ兄ちゃんと遊びたいよ。」と。それから数時間後クーは天国へ旅立ちました。二度と帰ることのない旅路へ。

お医者さんは「16歳だからよく頑張った。他には病気もなかったし、老衰だから大往生です。」と言ってくれています。本当に良く頑張ったね。

おとーさんとおかーさんは、クーちゃんとの16年間の楽しかった思い出を大切に、残された少ない人生を大事に生きていきたいと思います。

ヨーゼフと最初のツーショット

クーちゃんも天国でヨーゼフと再会し、若いころに戻ってヨーゼフと元気に走り回っていることでしょう。楽しそうだな。
おとーさんとおかーさんも遠くない将来に、そちらに行きます。それまで「虹の橋」で待っていて下さいね。 そして私たちを迎えてくださいね。

私はもともと宗教とは無縁でした。ですから神道における黄泉とか仏教における来世は信じる・信じないではなく、それこそ無縁でした。でも5年前にヨーゼフの死を目の前にして、ヨーゼフとこのまま離れたくない、また逢いたいと思いました。その時に見たのが「虹の橋」の話です。現実にはそんな事はないと知りつつもあったらいいなと思います。

天国でまた一緒に遊ぼうね。
それまで逢えないけど、ヨーゼフやクーとまた逢えることが、私たちに残された夢です。
ヨーゼフの時と同じように、クーを乗せていく、昔はいざ知らず今はほとんど手入れしない車を洗車しました。きれいになった車でクーを送りました。

クーちゃん16年もの間、私たちと生活してくれてありがとう。ヨーゼフとメイも同じ気持ちだよ。
最後は歩くのも辛かったけど、最後まで明るく頑張ったね。本当に
お疲れさまでした。
もう一度「ありがとう」の言葉を添えて。

 

20191月24日
おとーさんとおかーさんより

この手紙は荼毘に付したとき一緒に入れた手紙に少し加筆し、写真を加えたたものです。 
(2月26日改)


ヨーゼフは骨壺を骨袋に入れたまま安置していました。
おかーさんが家に置いておきたいという強い思いで。
今度、メモリアルボックを手に入れたので納め.ることにました。
ヨーゼフとクーちゃんどうぞ一緒に眠ってください。
これでおとーさん、おかーさんととずっと一緒だよ。
花瓶の「カサブランカ」今は大きな花を咲かせてます。


(当分、この「16年間の思い出」は何か思い出す度、随時更新していきます 2/12)

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