おと~さんが入院しました
2018/03/01~19日
正面玄関(建物は11階建てです)
今まで元気だったおとーさんが入院することになってしまいました。発端は昨年の9月14日のことです。会社時代の友人5人と大崎駅近くの以前良く飲みに行っていた居酒屋で飲んでいた時、右腕が全然動かなくってしまいました。それ以前にも昨年の5月ぐらいから3、4回、経験していたのですが今回は友人の一人が「吉野さんおかしいよ。呂律が回
7階の病室
ってないよ」と気づき救急車を呼んでくれ、そのまま病院へ直行。運び込まれたのは「東京高輪病院」。後に考えるとこの時救急車で病院に運び込まれたことは良かった事でした。病院では即、入院を勧められたけど、家からかなり遠いので近くの病院行くからと伝えた。このまま一人では帰せないと言われ、おかーさんに車で迎えに来てもらいました。高輪病院の診断は「一過性脳虚血発作」でした。
翌日、高輪病院の医師に書いてもらった「診療情報書」を持って東村山市の「多摩北部医療センター」へ出向くと即入院となりました。13日間の入院生活でした。そこでの診断は左の頸動脈は完全に詰まっていて、脳へ血液が行ってない。右も狭窄部分が、かなり進んでいて処置しないといけない。
病室にはヨーゼフたちの写真を
と言うことで多摩北部医療センターの医師の紹介で今度は多摩総合医療センターの神経脳血管科へ移りました。こちらでも見立ては勿論同じで、左は手をつけられない。現状は右の血管が本来あるはずの左からの血流を補っている。との事でした。さらに、頸動脈の処置をすると心臓に負担がかかるので先に冠動脈の狭窄部分を処置することに。 10月に3日間の検査入院。11月に冠動脈にカテーテルでステントを挿入、血管の狭窄部分を広げました。
その後も通院でMRI、CT、心電図、超音波、血流検査、等々いろいろな検査をしました。その中で、冠動脈に動脈瘤があるのが分かりました。動脈瘤は現段階では40ミリの大きさで、すぐ手術をする段階゛はないとの事でした。ただね毎年経過観察が必要と言われました。
退院前日撮った新宿ビル群の日の出
診療科も神経脳血管科、循環器科、脳外科、外科と多岐にわたりました。
そして今月1日、遂に頸動脈のカテーテル手術を受けることになりました。
当初は1週間を目途に退院できそうだったのですが、手術は問題なく終わり6日に医師から8日に退院できると伝えられ喜んだのもつかの間、ここでアクシデント。退院予定の前日、麻痺の症状が出てしまい、退院は延期になってしまいました。後に医師から言われたのですが、この時は相当ピンチだったそうです。処置後はSCUで4日間安静に、その後一般病棟へ戻りました。今までは4人部屋だったけど、幸いなことに個室が空いたのでそちらへ移動。7日間過ごし19日にめでたく退院できました。個室へ移動後はよく寝られました。こうして脳梗塞の一歩(半歩?)手前で無事、我が家へ帰ってきました。
今まで入院の経験はあるものの、それは検査入院なので、こんなに長いのは初めての経験。これからも病院通いが続きますが、とにかく顕著な後遺症がなくて良かったです。顕著な後遺症ないものの、外からは分からないと思いますが、自分には何か手の動きにちょっと違和感が残りました。後遺症がなかったので長期の入院生活は退屈でした。今まで極端な医者嫌いで滅多なことでは医者には行かなかった私。ただ、今回のいろいろな検査で、私の身体はボロボロだということがよ~く分かりました。救急車を呼んでくれた友人には感謝しかありません。ただ、こうして入院してみるとおか~さんの精神力にはただ感服するのみ。だって頸椎を痛め2ヵ月入院したのですから。しかも我が家から遠い塩原の病院で。これは私にとってもきつかったけど。
この拙文を読んで頂いた皆さま、特に若い頃無茶した方、くれぐれもご自愛ください。

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