あの日から一年
2015/05/07 |
つい先日のような気がしますが早いものです。もう1年も経つなんて。 我が家ではこの日、特に何かをするということはしませんでした。私がちょうど5月1日から5日間ほど寝込んでいたこともあります。6日は何とか起きられました。 いつもより多くの花、そしてヨーゼフの好物だったジャーキーをあげ、いつもの通り話しかけ・・・ 私が寝込んでいた他は、普段と変わることはありませんでした。 そして1日中、ヨーゼフのフォトブックを作るため膨大な量の写真を整理をしていました。
ヨーゼフは我が家に2度の大きな変化をもたらしました。 それは13年前突然、我が家に来たとき。そして昨年、ひとり旅立ってしまったとき・・・ 13年前、それは息子が既に一人立ちし、翌年には娘が結婚し、いよいよカミさんと二人きりになってしまう頃でした。 ヨーゼフはその愛くるしい表情・仕草で、一気に我が家の生活の中心に位置を定めました。 食物、おやつ、おもちゃ、首輪、リード、洋服、病院、トリミングなどなど、してあげることはいっぱいありました。車も最初はセダンに乗っていましたが、クレートを入れるためワゴンに変わりました。
留守番させるのは可哀そうで、ペット禁止でなければ、どこへ行くにも連れて行くようになりました。 登山もその一つで、奥多摩をはじめいろいろな山に連れて行きました。ヨーゼフは嬉々として付いてきてくれました。 社会生活に必要な躾けもきちんとやりました。ヨーゼフは我が家の優等生でした。 1年後には弟分のクーちゃんを迎え、家の中でも恰好の遊び相手ができました。 旅行にも随分行きました。 我が家では何故か、ヨーゼフは“ちゃん”付けではなく、クーは“ちゃん”を付けていました。
ほとんど病気もせず、元気に毎日を過ごしていたヨーゼフ。幸せな日々でした。 10歳を迎えるころからシニア犬になりました。私たちもそうですが、ヨーゼフも歳をとりました。 登山からは遠ざかり、お出掛けも精々旅行に行くぐらいか、近場の公園になりました。 出掛ける日は子犬の頃のように、大はしゃぎでしたが、普段はそれこそ一日中寝ていることが多くなりました。 そんなヨーゼフに大事件が起こってしまいました。 「僧房弁閉鎖不全症」という心臓病を患ってしまったのです。シーズーやマルチーズが比較的、罹りやすい病気だそうです。
それからは病院への送り迎えや体調の気遣いなど、クーとメイにはかわいそうだけどヨーゼフは特別扱いでした。 ヨーゼフはその小さな体で良く頑張ってくれました。 そして、1月31日に症状が出てから3ヶ月、ヨーゼフはみんなの願いも空しく一人旅立ってしまいました。 その日は時々、咳はしていたもののそれ程普段と変わりませんでした。 しかし日付が明日に変わるころ、突然眠るように逝ってしまいしました。 今まで楽しい思い出をありがとう。ヨーゼフ。小さな身体で良く頑張ったね。
ヨーゼフを失ったことはとても大きな出来事でした。ヨーゼフは何ものにも代えがたい、かけがえのない存在でした。 何をする気にもなれない。写真を見て、楽しかった日々を思い浮かべる毎日。 良く言う「ペットロス症候群」に陥ってしまったのかも知れません。 その後、シーズーをペットショップで探したりもしました。里親になることも考えました。 でももう別れは経験したくない。それにヨーゼフの代わりを探すのはヨーゼフにも新しいシーズーにも失礼なことだと、断念しました。 我が家にはクーやメイもいます。クーは12歳になりました。メイはまだ5歳です。
ヨーゼフがいなくなってから、クーは散歩でも元気がなくなった気がします。 クーには、ヨーゼフの分も長生きしてもらいたいです。 いつか彼らとも別れの時が来るのでしょう。 その時にも「ありがとう」と声を掛けてあげたい。そのためにも、私たちがちゃんとしなければ。いつかはヨーゼフ離れをしなければなりません。 さよならヨーゼフ。そしてありがとう。 でもそれはヨーゼフを忘れる去ることではありません。 いつまでも、いつまでも私たちの心の中にヨーゼフはいるのです。 いつでも逢えるのです。 写真は 「さよならヨゼ兄ちゃん 2014/05/07 6:00撮影」を除いてすべて我が家に来た年に撮影したものです。まだヨーゼフが小さい頃の懐かしい写真です。 |
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